忍者ブログ
在宅ビジネス、副業、副収入、SOHOのあい間に、教育、子育て、健康、ダイエット、人生等に「ちょっといい話」の雑誌や新聞の記事を紹介します。
[3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11] [12] [13]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

◆夫婦愛の深さを実感

60歳でアルツハイマー型認知症と診断された母(キヨ子さん目78歳)は、

熊本県の実家で父(故・清人さん)の介護を受けていました。

父は心臓に持病があり、身体障害者手帳も持っていました。

でも、離れて暮らす私と兄をあてにはせず、

自営の呉服屋を廃業してまで母の介護に専念していたのです。

長崎県で小学校教諭をしていた私は、

母が料理を作れなくなったころからさすがに心配になって、

車で6時間かかる実家へ週末などに様子を見に行くようになりました。

布団が出しっぱなしになっ夫婦愛の深さを実感ていた実家で、

父は、食事や洗濯、散歩など介護の日課を紙に書き出していました。

母の大好きな「旅愁」という唱歌を一緒に歌ったり、

趣味の大正琴を母に弾かせたりすることまで書かれていた毎日のスケジュール表を見て、

何もしていない自分が情けなくなったものです。

今、施設に寝たきりで言葉もしゃべらない母の耳元で、

私が「旅愁」を口ずさむと、母はうなったりしてうれしそうな反応を見せます。

父が一生懸命に介護した時の思い出がよみがえるのでしょう。

「お母さんには昔から苦労をかけた。自分が幸せにする」と言い続けた父。

それに甘えていた状況が一変したのは1997年になってからです。

父が突然心臓発作を起こしたのです。

父は緊急入院、そして母も、

父の病院の隣にある老人保健施設に一時的に預けることになりました。

 父の病室に行って

 母のことを報告した

 父は矢継ぎ早に母の様子を聞いてきた

 自分の病気もほったらかしにして

 母のことを必死に聞く父が

 うらやましく思えた

 必死で守るものがあることの

 幸せを父は

 私に語っていた

 いや私を責めているようにも感じた

 (「散髪」より)

 

父は病状が回復してくると、母に会いたいと言い出し、

医師の許可を得て母に面会しました。

最初は父のことを忘れていた母は、時開がたつにつれ父の手を握り始めました。

父は母の髪のをとき、メガネをふいてあげました。

その後、病院内の理髪店で2人一緒に髪を切りました。


 お内裏様とお雛様が仲良く座っている

 父と母ではなく

 夫婦としての男と女の後ろ姿を私は見つめた

 鏡に映っている父の目は、

 母をじっと見つめていた

 (同)


私の入る場所がなかった父と母の間。

それをあけてくれたのは、間もなく亡くなってしまった父でした。

詩人 藤川幸之助 (読売新聞より)

 

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら [PR]                               [HERBALIFE] 空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
信じられな~い (@ 。@) ♪本業収入よりも副収入の方が多い♪ なんて !!


PR

◆お正月にはなぜおせち料理を食べる

何もかも古い習慣が消えてゆく中で、いまも健在なのが、お正月のおせち料理。

食品天国になった現代では、ゴマメやキントンなど、

あまりおいしいとも思われないのですが、

それでも習慣として食卓に並べない家は少ないでしょう。

「おせち」とは「御節供」の略ですが、

もともと御節供は宮中の節日の宴会に供せられる、ごちそうのことでした。

平安時代の宮中では、1月1日と7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日といった節日には、

神前に食物を供え、お祝料理をつくって宴会をしていたのですが、

この宴会料理の御節供がしだいに略され、

お正月料理だけをさすようになって、「おせち」となったらしいのです。

御節供の行事のほうは、下の「供」だけを変えて「御節句」となり、

三月三日と五月五日だけが、現在は女の節句、男の節句として残っています。

「おせち」を正月のごちそうの意味で使ったのはかなり古いらしく、

「室町殿日記』という本の中には、織田信長が正月五日に諸大名を招いて、

新年の節振舞をしたと書かれてあります。

江戸時代の『玉勝間』という本には、年のはじめに、いはゆる振舞などをすることを節といふ」とあります。

おせち料理を正月に食べるのは、つまり宮中のしきたりが民間に広まり、

歴史の中で伝承されてきたというわけなのです。

なお、その後「おせち」にはいろいろな意味が加えられ、

正月三日間は主婦を休ませるとか水仕事を避けさせるとされ、

大みそかにつくってお重に詰めておくのが通例となりました。

(講談社文庫 つい誰かに話したくなる雑学の本 日本社より)

 

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)


◆お正月にはなぜ門松を立てる

昔は、お正月といえは、それぞれの家庭の門口に「門松」が飾られたものです。

いまは銀行とか大きな会社や商店が門松を立てるぐらいで、

一般の家庭では、松の小枝を門柱にくくりつけたり、あるいは和紙に印刷した、

ちょうどのしのようなものをはって簡略化しています。

昔の人が門松を飾って正月を迎えた習わしは、原始信仰に由来するものです。

古代の日本入は神棚を見てもわかるように、

産土神、天照大神、家の祖先神、守護神など、様々な神様をまつって拝んでいました。

そうしたたくさんの神様の中に、五穀を守る「年神」という神様がいます。

年神は、春の始まりの第一日目である元日にやってくるとい

われ、そこで昔の人は、門松を立ててこの年神を迎えました。

つまり、門松は年神が宿る安息所だったわけです。

飾ったのは、松にかぎらず、榊、栗、楢などの木を立てたりもしていました。

いまのように、松に竹を加えるようになったのは、鎌倉時代以降です。

ところで、この飾りつけは、12月の28日までにするものとされていました。

それは、29日を「九松」といって、苦を待つという意味にひっかけて忌み嫌ったためです。

また、31日も「一夜松」と呼んで避けました。

そこで二八日までに、門松を飾るようにしたのです。

また、これを取り去る日は地方によって違いますが、

東京では昔は1月15日で、現在は1月7日とされています。

この正月七日を過ぎると、「松の内も過ぎて」などといういい方をしますが、

この松飾りがある間を「松の内」と呼んだところから使われだしたことばです。

ちなみに、正月には門松を飾るだけでなく、

門口、井戸、かまど、便所などにしめ縄を張りました。

これは、たくさんの神様がその場所にまつられていたことを示すものです。

現代でも、自動車や台所に、小さめのしめ飾りをかけたりしますが、

こうした由来によるものです。

(講談社文庫 つい誰かに話したくなる雑学の本 日本社より)

 

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)


短大を中退して以来、仕事から帰宅すると、

机の上に母からの長文の手紙が置いてあるという日々が続きました。

結局、二十二歳までに芽が出なければ芸能界を辞めるという約束を、母としました。

そして、もう後がないという二十二歳の時にオーディションで出会ったのがヒット作『タッチ』の浅倉南役でした。

声優のオーディションは、その配役に一番合う声を探すという審査ですから、

誰にとっても公平なチャンスが与えられます。

他の人を押しのけて目立つ必要がないのが声優の仕事です。

自分の積み重ねてきたことが一番報われる世界だと思っています。

私は小学生の頃から、登場人物の声を想像しながら本を朗読するのが大好きで、

放送部にも入りました。その私が、紆余曲折はありましたが、

最後は、自分に最も合っている声優の道を見つけて選ぶことができたのは、

私のことを考えて短大中退を反対し、

真剣に将来を見つめる機会を与えてくれた母のおかげだと思っています。

今、私も母親となり、子どもたちへの読み聞かせ活動を、楽しく行なっています。(談)

--------おわり--------

声優 日高のり子 (灯台12月号より)

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)


◆進路をめぐり、母と衝突

高校三年生の時にサンデーズのメンバーとしてNHKテレビの『レッツゴーヤング』に出演が決まり、

アイドル活動をするようになりました。

でも私は人を押しのけて前に出るということが苦手で、

番組のエンディングでは人の後ろに隠れていました。

自由に衣装を選べる時でも、

私が楽屋に行く頃には最後の一枚しか残っていなかったこともよくありました(笑)。

もともとお芝居がしたかったので、

歌番組に出演するようなアイドルには自分は向いていないなと感じました。

その頃、アイドル活動をしながら短大に進学していたのですが、

仕事に専念したいという気持ちが余計に強くなって、

母の反対を押し切って中退してしまいました。

短大をきちんと卒業して一般企業に就職し、

普通の結婚をしてほしいというのが母の願いだったようです。

一番の理解者だと思っていた母の反対は、私にとってショックでした。

でも、私も一度自分で決めた道ですから、絶対に譲ることができませんでした。

その時に理解を示してくれたのは父でした。

父は洋服のテーラーをしていたので、

身につけた技能で身を立てるということに理解があったのだと思います。

--------つづく--------

声優 日高のり子 (灯台12月号より)

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)


◆女優を目指して、児童劇団へ

幼い頃の私は、のんびりしたおとなしい子で、学校でも「のろ子ちゃん」とからかわれていました。

本や漫画が大好きで、その頃人気だった『ガラスの仮面』を夢中で読んでいました。

朗読が大好きで、先生に提出する毎日の日記に「もっと私に朗読させてください」と書いて、

アピールしたのを記憶しています。

声を出して本を読むと、その物語の世界に入り込めるのです。

物語の世界を演じることに自然と惹かれたのだと思います。

そんな子が、テレビドラマを見ていて、

女優という仕事に憧れを持ち、児童劇団に入りました。

小学校四年生でした。大人たちの前でセリフを言うのは、大きなプレッシャーでした。

役をめぐってオーディションを受けるという競争を、この頃はじめて体験しました。

小学校五年生の時、はじめて子役として舞台に。

のんびりした子でしたけど、休むと役を失うと感じていましたから、

たとえ熱があろうと稽百には欠かさず通いました。

劇団の稽古日は夜九時まで。

母が、おにぎりとお茶の入った魔法瓶を持って、送り迎えをしてくれました。

子どもには好きなことをさせてやりたいという母のおかげで、

私は児童劇団のほかにも、クラシックバレエやピアノなど、

やりたいと言ったことはなんでも経験させてもらいました。

中学に入って、ますます演劇に熱中するようになると、

母からは「学校では目立たないようにしていなさい」と言われました。

劇団では、役柄によっては髪を染めなければならないことがありましたから、

すぐに先輩から目をつけられてしまうのです。

好きな演劇を続けるためには、学校では極力目立たないようにしなければなりませんでした。

当時は長めのスカートに、ぺちゃんこの鞄が流行っていたのですが、

私は普通の膝丈のスカートにお弁当箱のような厚い鞄でした(笑)。

母からの批評やアドバイスには、ときどき反発する時もありましたけど、

的を射ていたので、だいたい母の言うことを聞いていたように思います。

--------つづく--------

声優 日高のり子 (灯台12月号より)

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)


 
■■ステキなおばあちゃん■■

80歳でも"現役"生き生き農作業

鹿児島に住む母方の祖母は、

80歳になった今も畑で大根やお茶を作り、力仕事もこなす"現役"です。

以前、散歩中の転倒で骨折し、入院したことがありました。

それでも、日ごろから鍛えているせいか回復が早く、

また、すきやなたを積んでバイクで農作業に出かけるんです。

ゆっくりすればと言っても、動いてないと体がおかしくなる」。

そんな姿は生き生きしていて、本当にステキだなと感じます。

子供のころは、手打ちそばを食べさせてもらったりもしました。

ドラマのロケ地で田舎そばを食べる時など、

ふと、おばあちゃんの優しい笑顔を思い出しますね.

この仕事を始めて10年。

30歳を目前に「今からがスタートだ」と思っています。

以前は変に大人ぶって冷めた部分がありましたが、

世の中のことで知らないことはたくさん。

自分の言葉で何かを表現する難しさも感じています、

素直な感性が魅力的であるよう、人として輝いていたいですね。

女優 原沙知絵 (読売新聞より)
 

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)


 

学校でのいじめの深刻な実態が報道されている。

対策もいろいろ提案されているが、私はこの問題、

そう簡単に解決するとはとても思えない。

なにしろ、この日本全体が"いじめ社会"なのだから。

職場では病気や自殺に追い込まれるほどの過重労働が日常化していたり、

地域ではちょっと障害があれば、「専門家に委ねる」という美名のもとで追い出しにかかったり。

社会全体でやっていることを、子どもたちにだけするなと言ってみても無理ではないか。

まず大人の側がいじめをやめることだ。

特に文部科学省や教育委員会が少数派の先生へのいじめをやめるのが最も有効な対策だと私は思う。

介護現場の虐待についても同じだ。

昨年の2月に石川県のグループホームで起こった虐待致死事件に続いて、

今年は東京都の老人施設での職員の暴言が報道された。

いずれもあってはならない事件である。

でも、「教育の徹底」や「マニュアルの作成」といった対策で虐待がなくなるとは思えない。

それらは、監視や管理を増やすだけで、むしろ介護現場を荒廃させるだろう。

そういえば、厚生労働省だって虐待めいたことをやっている。

くっついて寝たがる老人にまで個室を強要することや、3、4か月ごとに施設を転々とさせること、

したくない人にまで筋トレをさせること、これらは私に言わせれば虐待に等しい。

いや、組織的に行われるから、個人によるものよりもっと問題だと言わざるを得ない。

「生活とリハビリ研究所」代表 三好春樹 (読売新聞より)

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)


ダメ教師野放し 教育再生「夢のまた夢」

最近はいちいち教師の不祥事に驚いていられませんが、

今回はさすがにあぜんとしてしまいます。

交通事故で亡くなった子供たちの写真を勝手に遺族のウェブサイトから転載したり、

海外の子供の遺体写真や水着写真などを集めて、

自分のウェブサイトクラブきっずに掲載していた小学校教諭が4日、

遺族らに児童買春・児童ポルノ禁止法違反容疑で告発されました。

教諭は今年9月、自分のサイトに事故死した子供の写真を無断転載したとして、

著作権法違反の疑いで書類送検されていますが、

学校側はサイトの内容まできちんと調査せず、

最近まで普通に教壇に立たせていたそうです。

遺族の怒りは察して余りあります。

他人の独特な趣味嗜好をとやかく言いたくありませんが、

ひとたびその趣味をネットで公開すれば、遺族の悲しみを逆なでし、

多くの人に不快感を与える暴力装置になり得ることを、この教諭はお分かりでないようです。

ネットの普及で、自分の意見や表現を、

いとも簡単に発信できるようになったことはすばらしいことですが、

それによって傷つく人がいるかもしれないという想像力がなさ過ぎです。

教諭は、児童のパソコンクラブも担当していたそうですが、

子供たちにそうしたネット社会の基本をきちんと教えられたとは、とても思えません。

また、ネットに公開した個人情報は、

常に誰かに悪用される危険性があることにも注意を払うべきでしょう残念ですが、

他人のモラルや善意を信じすぎることも、ネットの落とし穴なのです。

(読売新聞より)

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)



今だから話せる!私の子育て失敗談

◆「ごめんね」と素直に謝れる自分に

千葉県・49歳・主婦

長男がまだ小学生だった頃、あるとき悪さをして叱っても、決して謝りませんでした。

どうして素直に「ごめんなさい」と言えないのか問いただしたところ、

「だって、ママも謝らないんだもん」と一言、

そう言われると、親の権威が先に立ち、

子どもに謝るなんてとんでもないと思い込んでいた自分に気がつきました。

親であったとしても、間違えたり、嫌な思いをさせたときは、

「ごめんね」と謝れる自分になろうと心がけました。

それ以来、息子も少しずつ変わっていったことを覚えています。

親の毅然とした態度も大切ですが、子どもと同じ目線で、

対等に接することも忘れてはいけないと思います。

(灯台12月号投稿欄より)

高栄養低カロリー食事(?)での健康・ダイエット記録は→こちら
[PR]                     [HEBARLIFE]
空いた時間で在宅ワーク \(^o^)/ 喜ばれて副収入 \\(^○^)//
       
信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)




忍者ブログ [PR]
カレンダー
02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
最新コメント
プロフィール
HN:
miz
性別:
男性
バーコード
ブログ内検索