在宅ビジネス、副業、副収入、SOHOのあい間に、教育、子育て、健康、ダイエット、人生等に「ちょっといい話」の雑誌や新聞の記事を紹介します。
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ◆夫婦愛の深さを実感 60歳でアルツハイマー型認知症と診断された母(キヨ子さん目78歳)は、 熊本県の実家で父(故・清人さん)の介護を受けていました。 父は心臓に持病があり、身体障害者手帳も持っていました。 でも、離れて暮らす私と兄をあてにはせず、 自営の呉服屋を廃業してまで母の介護に専念していたのです。 長崎県で小学校教諭をしていた私は、 母が料理を作れなくなったころからさすがに心配になって、 車で6時間かかる実家へ週末などに様子を見に行くようになりました。 布団が出しっぱなしになっ夫婦愛の深さを実感ていた実家で、 父は、食事や洗濯、散歩など介護の日課を紙に書き出していました。 母の大好きな「旅愁」という唱歌を一緒に歌ったり、 趣味の大正琴を母に弾かせたりすることまで書かれていた毎日のスケジュール表を見て、 何もしていない自分が情けなくなったものです。 今、施設に寝たきりで言葉もしゃべらない母の耳元で、 私が「旅愁」を口ずさむと、母はうなったりしてうれしそうな反応を見せます。 父が一生懸命に介護した時の思い出がよみがえるのでしょう。 「お母さんには昔から苦労をかけた。自分が幸せにする」と言い続けた父。 それに甘えていた状況が一変したのは1997年になってからです。 父が突然心臓発作を起こしたのです。 父は緊急入院、そして母も、 父の病院の隣にある老人保健施設に一時的に預けることになりました。 父の病室に行って 母のことを報告した 父は矢継ぎ早に母の様子を聞いてきた 自分の病気もほったらかしにして 母のことを必死に聞く父が うらやましく思えた 必死で守るものがあることの 幸せを父は 私に語っていた いや私を責めているようにも感じた (「散髪」より)
父は病状が回復してくると、母に会いたいと言い出し、 医師の許可を得て母に面会しました。 最初は父のことを忘れていた母は、時開がたつにつれ父の手を握り始めました。 父は母の髪のをとき、メガネをふいてあげました。 その後、病院内の理髪店で2人一緒に髪を切りました。
父と母ではなく 夫婦としての男と女の後ろ姿を私は見つめた 鏡に映っている父の目は、 母をじっと見つめていた (同)
それをあけてくれたのは、間もなく亡くなってしまった父でした。 詩人 藤川幸之助 (読売新聞より)
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