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在宅ビジネス、副業、副収入、SOHOのあい間に、教育、子育て、健康、ダイエット、人生等に「ちょっといい話」の雑誌や新聞の記事を紹介します。
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母方の祖母とは、21歳で一人暮らしを始めるまで同居していました。

現在、75歳ですが、絵に描いたようにかわいらしく、いつもにこにこしています。

私は今年4月に長女を出産しました。

それまで「祐実ちゃん」と呼ばれていましたが、今は「ママ」と呼ばれます。

母親のことも「ママ」なので、一緒にいる時には2人とも振り向いてしまうんです。

母親が厳しかったので、祖母が逃げ場でした。

小学生のころ、怒られるとよく祖母の部屋に逃げ込んでいましたね。

「仕事では感謝の気持ちを持つように」といつも言われます。

孫としてだけでなく、純粋なフフンとしても見てくれているんです。

数年前、仕事もプライベートもうまくいかない時に「あんた最近老けたわね」と言われ、

「よく見てくれている」と思いました。

祖母は早くに離婚したので、子育ても苦労したそうです。

一緒に旅行「でも」とも思いますが、

特別なプレゼントがなくても私と娘が顔を見せて、

できるだけ一緒の時間を過ごすことが大切だなと思っています。

女優 安達祐実 (読売新聞より)


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信じられない!! 「本業収入よりも副収入の方が多い」なんて (@ 。@)

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◆この「保険」があるからつまらぬ妥協をしないで生きられる◆

新聞のビジネスマン川柳を見ていると、実に面白いものが多い。

「辞めてやる 口に出すやつ 辞めもせず」

これなど思い当たる人も多いのではないか。

「くそっ、辞めようか」とか、「あのいやな○○の顔に辞表を叩きつけてやろうか」と思ったことのある人は少なくないはずだ。

だからこそ「サラリーマンは宮仕え」と言う人もいるが、ではなぜ辞めなかったかというと、

いざとなると、「どうやって食っていくか」という現実に引き戻され、あげくの果てに、

自信がぐらつき長いものには巻かれろということになったのではあるまいか。

そして酒にうっ憤晴らしを託する、というのがいちばん多いパターンだろう。

私は、サラリーマン時代に美容室をオープンしたことがある。

その最大の理由は、私なりの論理だが、

「収入源を複数持つことにより、いたずらに節操まで曲げて妥協しなくて済む」と考えたからである。

金の奴隷にならずに済むというわけだ。

これは、私自身もびっくりするくらい的中したと思っている。

たとえば、会議や日頃の仕事上の意見についても、いたずらに上役のご機嫌をうかがう必要がない。

いざとなれば会社を辞めても食えるからである。

ある日のこと、専務から呼ばれて、「そこまできみがやるのは越権行為だ」と叱章されたことがある。

ところが、その行為は常務の指示の範囲内でやったことである。

むしろ常務と専務の意思の疎通の問題であり、その狭間にあって私がとばっちりを食ったありさまだ。

そのときのことを後に、専務が私にこう語ったことがある。

「あのときのきみには圧倒されたよ。一歩も引かんという意志と、

正論は堂々と主張するという強さというのかね。とにかく一本取られた、という感じだったね」

いざとなったら、辞めても食えると思うものだから、とにかく正邪善悪黒白をはっきりさせて、

「これを言うと、上司ににらまれはしないか」というようなへっぴり腰で仕事をしないで済むのである。

それにストレスがたまらないから気分もいい。

すると面白いもので仕事もうまくはかどり、上司も評価を高める。

辞めても食える武器が、仕事が楽しくなる武器になってしまったのである。

また、あいつはアルバイトが本業だからと言われないようにせんといかん、

と自覚するものだから、かえって仕事に励みになった。

あなたも何か商売に手を出せ、というのではない。会社を辞めても食える武器(自信)は、

かえって仕事を面白くする武器になる、ということを言いたいのである。

(三笠書房 一日一話寝る前に「読む薬」 二見道夫著)

----------------------

確かに副収入があれば強いですよね。

中には、本業よりも多い副収入を得てる人や

ご主人の給料より多い副収入を得てる主婦の方がいらっしゃいます。

但し、ご主人には内緒だそうですが。

私も、もっと早くにこの在宅ビジネスに出合っておれば

人生が変わっていたのにと思います。


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「急ぎの仕事は、忙しい人に頼め」と言われますが

新聞に次のような記事がありました。

---------------------------
「やる気」は、秘められた力を発揮させるカギとなる。

どうしたら"やる気"がでるのか。

脳科学によると、脳にやる気を生み出す場所があると言う。

名前は「側坐核」。

困ったことに、この部位はなかなか活動しない。

だが活発にさせる方法がある。

まずは、とにかく「やってみる」こと。

そうすると側坐核が刺激され、脳全体が活発に働き、意欲がみなぎるという。

歴史学者トインビー博士は、

ラテン語の「ラポレムス(さあ、仕事を続けよう)」をモットーにして、

毎朝、決めた時間に必ず机に向かった。

「ともかく仕事を始めるのです。

仕事をしたいという気持ちになるのを待っていては、

いつまでも仕事はできません」と

ただ待っているだけでは、やる気は起きない。

それよりも"まず、動くこと"が、どれほど価値的か。

一歩踏み出す勇気。

そこから生まれる行動が、自らを鼓舞し、新たな可能性を開く。

(聖教新聞より抜粋)


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世界で初めて8千メートル級の山に登頂した

フランスの登山家エルゾーグは言う。

「他人は、失ったものに目を向けますが、

私は得たものに目を向けます」

(『知恵を生みだす世界の名言』はまの出版)。

凍傷で両手両足の指を失った後の言葉という

(聖教新聞より)


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単親家庭におくる子育てエール

名古屋市東区 (無職73歳)

サラリーマンだった夫が、

ガンのため42歳の若さでこの世を去ったのは、

今から30年前高校2年の長女、中学2年の長男、

それに私の母と、4人が残されました。

私は生活のため、すぐフルタイムの勤務を始めました。

夫が逝って初めての母の日。

仏壇に長女からの手紙が置いてありました。

「母の日なのに、何もプレゼントできません。

でも、高等部員として池田先生の指導をしっかり受けて成長します。

将来は、ママ一人ぐらい私が養ってあげるから、

体を大切に頑張ってください…」。思わず落涙しました。

父が大好きで、大きなショックを受けていた長男も、

大好きな音楽の道へ進み、現在も、"半プロ"として、

その道で元気に活躍しています。

幼稚園教諭になった娘も良縁を得て結婚。

今私は、娘が"宣言"したとおり、

娘一家と一緒に幸せに葛らしています。

今振り返ってみて、いくつか私なりに感じることがあります。

まず「親が子どもと共に成長すること」の大切さです。

私自身も、悩んでいる女性の味方になりたいと、一念発起。

愛知県の婦人相談員となり、63歳まで働き続けました。

そして「自分一人でくよくよせず、分からないこと、

困ったことは、相談する」ことが大切です。

指導を受け、祈れぱ必ず道は開けてきます。

母子家庭への福祉、児童手当等も大きく改善されています。

公的に利用できることは、大いに活用すべきです。

ともあれ、私自身、弱々しい母であってはならないと、

いつも胸を張って前向きに生きてきました。

今は、子ども、孫に感謝の日々です。

(聖教新聞より)


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在宅ビジネスに必要なのは、「能力」よりも「勇気」だといわれます。

最初の一歩を踏み出す「勇気」が一番大事ではないでしょうか

ところで、私たちは、電話をかけるときには、

「もしもし、こちらは○○ですが」と

無意識のうちに「もしもし」とまず相手に声をかけています。

電話をかけるときなぜ「もしもし」か、

「講談社文庫 つい誰かに話したくなる雑学の本 日本社」

に答えがありました。

-----------------------

たくさん並んだ公衆電話の前で、暇にまかせてながめていると十中八九、

ほとんどの人が「もしもし、もしもし」と電話の相手を呼んでいます。

中には、「おれだ」とか「私よ」といきなり名乗りをあげている人もいますが、

受話器の向こうで、不意打ちをくらった相手が

「エッ、だれ?」とでも聞き返そうものなら、

やはり「もしもし、おれだ、おれだ」とこうなってしまうようです。

さて、この「もしもし」ですが、

「これから何かいいますよ」という気持ちで、

「申します、申します」といったのが一般化し、

後に、それではいいにくいので、

省略して「もしもし」になったといわれています。

また、「申す、申す」が転じたという説もあります。

ところで、普通、この「もしもし」が電話がはじまったころからの

相手への呼びかけ語というふうに思われていますが、実はそうではないのです。

東京の電話交換がはじまったのは明治23年(1890年)12月16日ですが、

それに先立って電話交換の公開実験が催されています。

そのときの模様が、同じ年に発行された読売新聞に、次のように出ています。

「ここにおいて需要者は、聴音器を両耳にあて、

器械の中央に突出する筒先を口にあて、

まず『オイオイ』と呼びて用意を問いあわせ、

(交換手につないでもらって、相手が出ると)『オイオイ』の声を発して注意し、

先方よりの承諾の挨拶あるを聴音器にて聞き取り、それより用談に入るなり」

つまり、電話が開通した初めは、

「もしもし」ではなくて「オイオイ」だったわけです。

ずいぶん、いばった乱暴ないい方のようですが、

なにしろ、当時電話を持っている人といえば、高級官吏とか実業家など、

みんないわゆる偉いさんばかりだったわけですから、

当然といえば当然なことです。

ところで、この「オイオイ」に対しての受け手の応答は、

なんと「ハイ、ヨウゴザンス」でした。

この[オィオで」「ハイ、ヨウゴザンス」が、

いつごろから「もしもし」に変わったかは、

いまのところ明らかになってはいません。


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笑って子育て

日本中を見渡せば、毎日100回笑い合っている親子もいれば、

笑うどころか100回怒り、怒られという親子もいます。

子どもを怒ってばかりいる親を見ていると、

子どもの実に微笑ましい、かわいらしい言動にもいちいち腹を立て、

怒っているようです。

昨日も、駅のホームで歩みを止めて

電車が行き過ぎるまでバイバイしていた子ども、

レストランでおまけのおもちゃ選びに時間がかかっていた子ども、

ちょっと本屋さんに立ち止まろうとした子どもが、

ただそれだけでお母さんに怒られていました。

でも、子どもがそれと同じことをしたとき、

その様子を目を細めて見ている親もいます。

その親は、わが子が電車に手を振るその様子、

一生懸命におもちゃ選びをする様子、

そして目を輝かせてじっと絵本を見つめるその様子に、

何とも言えないかわいらしさを感じ取っているのです。

子どもは誰も皆、親を笑顔にするようなかわいらしいこと、

声を出して笑わせる面白いことを、

きょうもたくさんしているものです。

叱ってしまったことも、腹が立つどころか、

突は笑顔になれたことだったかもしれないのです。

しんどかったはずの子育ての日々が、実は、

もう一慶経験したくなるほどの楽しい毎日だったことに、

子育てが終わってから気づいた、というのはよく聞く話です。

子どもを育てている今こそそれに気づき、

子どものかわいらしさ、

子育ての楽しさを十分に味わってほしいと思います。

きっとパパにもママにも笑顔が増えますよ。

子どもは親の笑顔が大好きです。

育児・保育コンサルタント原坂一郎 (聖教新聞「子どもに笑顔を」より)


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本質を知れ!そこに生きる力がある-2/2

人間-不思議なもの-を楽しもう

ほかのすべての動物が地球のリズムにしたがって生きているのに、

人間だけがそれにどんどん逆らっている。

今やアスファルトをはがしても、土が死んでいるから苗も植えられない。

地球をどんどん壊してきたのは人間です。

また、人間はとうとう自分が理解できないものを使って、

生活するようになってしまいました。

パソコンも携帯電謡も、中身はどうなっているか誰も理解しないで

使っているわけでしょう、これはどう考えても正常ではないと思います。

僕は、「人間はどう考えても地球上の破壊者だ」と思って、

三回ほど人間をやめようと思ったことがあります。しかし子どものころ

にふと気がついたのです。この不思議な物体、この不思議な生き物、

これは得ようとして得たものじゃない。

でもこんなに不思議ですばらしいものを持っている。

そうしたら、これを無駄遣いしないで、生きている間中、

人間というものを楽しまないと損だ、と思ったのです。

今の科学の力でも決して作れない、この人間というすばらしい生命を、

大事に楽しもうと。

僕はまったく無趣味ですが、「趣味は?」と聞かれると、

「自分です。この不思議な物体です」と答えます。

人間というこの限りなく楽しいもの、限りなく不思議なもの、

それをいつまでも大事にしていきたいですね。

劇画家 さいとう・たかお (第三文明9月号より)


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散歩に行ったりしながら、コツコツと在宅ビジネスに励んでいます。
昨日は、冷たい木枯らし第一号が吹きましたが今日はよい天気でした。

銀杏の葉は、まだ青いですが楓の葉が赤くなってました。
綺麗な紅葉が見られるの、もうすぐです。

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もうすぐ七五三です。
子どもの成長のお祝いをされる家庭も多いと思います。
おめでとうございます。
七五三の起源について
講談社文庫 つい誰かに話したくなる雑学の本 日本社
に次のように載っていました。

-------------------------

七五三のお祝いの起源はなに

11月15日を中心にしたその前後の日曜日になると、

五歳の男児と三歳と七歳の女児が、

晴れ着を着飾って神社詣でをする風景が見られます。

年々派手さを競うようになったこの七五三、

なんの由来があって行われるようになったのでしょう。

この習慣には、日本人の生活や慣習やきまりの中にあった、

いろいろな要素が組み合わさっています。

昔の村落には、生まれた子どもはすぐには村の構成員として認められず、

ある年齢になって初めて、

村落共同体の一員として認められるようになるという、

掟やとりきめがありました。

その年齢が女児は三歳、男児は五歳でした。

また七歳は幼児から少年少女への折り目だと考えられていました。

ですから、三歳、五歳、七歳のうちで、

最も古くから折り目の行事を行ったのは七歳のときで、

そのときはいまのような参拝ではなく、

何かのお祭りをやったものと思われます。

また、人別帳や氏子の登録も、

三歳を過ぎて七歳ぐらいまでの間に行われました。

これで、やっと村の子ども組に参加できるようになり、

村の中での権利と義務が生じてくるようになったのです。

武家社会になると、五歳になった男児は"はかまぎ"、

七歳になった女児は"おびとき"の祝いをする風習も生まれました。

また、鎌倉時代以後になると、公家では二歳、

武家では三歳に"かみおき"の祝いを行いました。

これは赤ちゃん時代からやっていた、髪をそることをやめる行事です。

そして、武家ではこれを11月15日に行って、

それは室町から江戸時代まで行われていますが、

この習慣は民間にも広く伝わったようです。

この"かみおき"の儀式の後は、土地の産土神に参拝し、

髪の成長を祝って、お祝いの食事がつくられました。

ところで、七五三の年齢には、

中国からきた名数を大事にする考え方が強くはたらいています。

それは、奇数は陽数、偶数は陰数とするもので、

陽数(奇数)は縁起のよい数字だという考え方です。

こうして、しだいに現在の七五三のお祝いが成立してきたのです。

このお祝いが、ほぼ全国的に11月15日に行われるようになったのは明治以降、

それまでは、その年齢の誕生日などがあてられている地域も多かったようです。

なお、11月15日と七五三が結びついたのは、

民俗的な祭りである霜月祭に、

その日があたっていることが由来だと考えられます。


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